柔道整復師の不正請求は請求資格の消失と多額の返還リスクを伴う。防止策は施術録の記載精度、適正な範囲の確認、定期的な内部監査の3つに集約される。

主要データ

  • 柔道整復療養費の年間支給総額:約3,700億円(厚生労働省 柔道整復療養費検討専門委員会 2022年度)
  • 療養費の不正請求による行政処分件数:年間約80〜100件(厚生労働省 地方厚生局公表 2023年度)
  • 不正請求による返還金の平均額:数百万〜数千万円規模(地方厚生局の処分事例より)
  • 施術録の記載不備による返戻率:約5〜8%(柔道整復師会調査 2024年度)

不正請求の定義と現場で起こる境界線

柔道整復師の不正請求とは、健康保険制度における受領委任払いの枠組みを逸脱し、実態と異なる内容で療養費を請求する行為を指す。厚生労働省の定義では、患者の施術実態がない請求、施術部位・回数の水増し、慢性疾患への施術を急性外傷と偽る請求などが該当する。

現場で頻発するのは「意図的な不正」ではなく、施術録の記載不足や算定ルールの解釈ミスによるグレーゾーンだ。例えば、患者が「腰が痛い」と訴えた際に、問診で明確に受傷機転を確認せず「ぎっくり腰」として算定するケースがある。この場合、慢性的な腰痛を急性外傷と誤って扱えば、後の審査で不正請求と判定される可能性が高い。柔道整復師法第15条では、急性または亜急性の外傷性の骨折・脱臼・打撲・捻挫・挫傷のみが施術の対象と定められており、慢性疾患や疲労性の症状は保険適用外となる。

不正請求と判定された場合、地方厚生局による個別指導や監査が入り、返還請求、保険医療機関の指定取消、刑事告発などの段階的な処分が科される。2023年度の地方厚生局による行政処分は全国で約80〜100件に達しており、処分を受けた施術所の多くは数百万円から数千万円の返還金を請求されている。

不正請求が発生する構造的要因

不正請求が生まれる背景には、整骨院経営の収益構造と療養費制度の運用実態がある。療養費の支給額は全国一律の施術料金表に基づき、初検料・再検料・施術料・往療料などで構成されるが、1施術あたりの単価は医療機関の診療報酬に比べて低い。そのため、施術回数や部位数を増やすことで売上を確保しようとする経営判断が働きやすい。

特に保険施術中心の院では、患者1人あたりの月間施術回数が10回を超えるケースが目立つ。厚生労働省の柔道整復療養費検討専門委員会の資料によると、月間施術回数が15回以上の患者は全体の約5%にのぼるが、こうした高頻度施術は審査側から「不適切な頻回施術」として注視される対象になる。

もう一つの要因は、施術録の記載精度の低さだ。受領委任払いでは、患者への施術内容を証明する施術録が法的に保管義務を課されているが、現場では「腰痛」「肩こり」といった症状名のみを記載し、いつ・どこで・どのような外力が加わったかの受傷機転が明記されていない例が多い。こうした記載不備は、審査会による返戻や個別指導の端緒となる。厚生労働省の「柔道整復療養費の推移」(2022年度)によると、全国の柔道整復施術所数は約50,000施設に達し、施術所1件あたりの平均療養費請求額は年間約740万円となっている。

保険請求と自費施術の混在リスク

保険施術と自費施術を併用する院では、患者説明の不足が不正請求の引き金になる。例えば、保険適用の捻挫施術に加えて自費の整体やストレッチを行う場合、患者に対して「どこからが自費か」を明確に説明し、同意を得た上でレセプトと領収書を分けて発行する必要がある。この区分が曖昧だと、自費施術分を保険請求に含めたと判定され、不正請求扱いになる。

実際、地方厚生局の個別指導では「保険適用外の施術を保険請求に含めていないか」が重点的に確認される。患者カルテに自費施術の記載があるにもかかわらず、レセプト上では全額保険請求されているケースが散見されるためだ。

不正請求の主なパターンと判定基準

不正請求は、意図の有無にかかわらず以下のパターンに分類される。それぞれの判定基準を押さえることが、防止策の起点になる。

不正請求のパターン

具体例

判定基準

架空請求

施術実態のない患者を施術したと偽り請求

施術録がない、患者本人が施術を否定

部位・回数の水増し

1部位の施術を2部位と記載、週2回を週5回に改ざん

施術録とレセプトの齟齬、患者証言との不一致

慢性疾患の急性化

慢性腰痛を「転倒による捻挫」として請求

受傷機転の記載が不自然、問診票との矛盾

保険外施術の混入

肩こり・疲労回復を「肩関節捻挫」として請求

症状と施術部位の医学的整合性がない

長期施術の不当継続

改善が見られないのに同一負傷で3か月以上請求

施術録に経過記載なし、医師の同意書なし

この中で最も現場で起こりやすいのは「慢性疾患の急性化」と「部位の水増し」だ。前者は、患者が「昨日から痛い」と言えば急性と判断してしまう甘さから生じる。後者は、腰痛の患者に対して「腰椎捻挫」と「仙腸関節捻挫」を別部位として請求するケースで、実際には同一部位の重複請求と判定されることが多い。

長期施術の判定ライン

同一負傷に対する施術が3か月を超える場合、審査側は「慢性化しているのではないか」と疑う。柔道整復療養費の支給要件では、急性期を過ぎた慢性疾患は対象外とされるため、長期施術を続ける場合は施術録に「なぜ改善に時間がかかるのか」の経過記載と、必要に応じて医師の診断書や同意書を取得する必要がある。これを怠ると、3か月以降の請求が一括で返戻される事例が頻発している。

不正請求が発覚する経路と監査の流れ

不正請求は、複数の経路で発覚する。最も多いのは、審査支払機関(社会保険診療報酬支払基金や国民健康保険団体連合会)によるレセプト審査での返戻だ。返戻とは、請求内容に不備や疑義がある場合に、支払いを保留して施術所に再提出を求める仕組みで、返戻率が高い施術所は個別指導の対象になりやすい。

次に多いのが、患者からの苦情や通報だ。「施術を受けていないのに請求書が届いた」「説明なく自費分が保険請求されていた」といった患者の声が保険者や地方厚生局に寄せられると、即座に監査が入る。また、同業者や元従業員からの内部告発も一定数存在する。厚生労働省の「柔道整復療養費検討専門委員会」(2023年度)の報告では、療養費の適正化対策が強化された結果、返戻・再審査件数が前年度比約15%増加しており、審査の厳格化が進んでいることが明らかになっている。

個別指導と監査の違い

地方厚生局による行政指導には、「個別指導」と「監査」の2段階がある。個別指導は、請求内容に疑義がある施術所に対して行われる任意の指導で、施術録の提出や面談を通じて改善を促す。この段階で不正が確認されれば、自主的な返還金の支払いと改善報告書の提出を求められる。

監査は、個別指導を経ても改善が見られない場合や、悪質な不正請求が疑われる場合に実施される。監査では強制的に施術録やレセプトが押収され、患者への聞き取り調査も行われる。監査の結果、不正請求が確定すれば、保険医療機関の指定取消や刑事告発に至るケースもある。2023年度の処分事例では、5年間にわたる不正請求で約3,000万円の返還を命じられた施術所が報告されている。

不正請求を防ぐ実務上の判断軸

不正請求を防ぐには、請求前の判断プロセスに明確な軸を持つことが最重要だ。以下の3軸で自院の運用を点検する。なお、厚生労働省の「柔道整復師の施術に係る療養費の算定基準」(2024年改定)では、施術録の法定保存期間は5年間と定められており、この期間内であれば遡及調査の対象となる可能性がある。

軸1:施術録の記載精度

施術録は、療養費請求の根拠となる唯一の法的文書だ。記載すべき項目は、患者氏名・生年月日・負傷名・負傷年月日・負傷原因・施術内容・施術日・施術部位・経過の9項目で、これらが全て揃っていない施術録は返戻の対象になる。

特に「負傷原因」は、審査で最も重視される項目だ。「階段を踏み外して転倒し、右足首を捻った」のように、いつ・どこで・どのような外力が加わったかを具体的に記載する必要がある。「腰が痛い」「肩が上がらない」といった症状のみの記載では、急性外傷と判断できない。

軸2:施術対象の適正範囲

柔道整復師が保険で施術できるのは、急性または亜急性の外傷性の負傷に限られる。慢性疾患、疲労性の症状、スポーツ後の筋肉痛、肩こり、神経痛、リウマチ、関節炎などは保険適用外だ。この区分が曖昧な症状については、患者に自費施術として説明し、同意を得た上で施術する。

判断が難しいのは「亜急性」の解釈だ。亜急性とは、負傷から数日経過しているが、炎症や腫脹などの急性期の所見が残っている状態を指す。負傷から2週間以上経過し、急性期の所見がない場合は慢性化していると判断され、保険適用外になる可能性が高い。

軸3:内部監査の実施頻度

不正請求は、請求前のチェック体制がないことで発生する。月次でレセプトと施術録を突合し、記載内容に齟齬がないかを確認する内部監査を行う院は、返戻率が低く、個別指導の対象になりにくい。

内部監査のチェック項目は、以下の5点に絞る。

  • 施術録に負傷原因が具体的に記載されているか
  • レセプトの施術部位・回数が施術録と一致しているか
  • 同一負傷の施術期間が3か月を超えていないか(超える場合は経過記載があるか)
  • 保険施術と自費施術の区分が明確か
  • 患者への施術内容説明と同意取得が記録されているか

状況別の防止策と運用のポイント

不正請求の防止策は、院の規模と保険・自費の比率によって最適解が変わる。以下、状況別に整理する。

小規模院(1人施術)の場合

1人施術の院では、全ての請求判断を院長が行うため、判断基準の属人化が最大のリスクだ。定期的に柔道整復師会や地域の勉強会に参加し、算定ルールの最新情報をアップデートする必要がある。また、施術録の記載を簡略化しがちだが、後の監査で証明責任を負うのは院長自身だ。面倒でも毎回、負傷原因と施術内容を詳細に記録する。

実務上のポイントは、患者への問診票の精度を上げることだ。初診時に「いつ・どこで・どのように痛めたか」を記入してもらい、その内容を施術録に転記する。問診票がない場合、後の審査で「患者が負傷原因を覚えていない」と主張されても反証できない。

中規模院(2〜3名施術)の場合

複数の柔道整復師が在籍する院では、スタッフ間で算定ルールの解釈がばらつくリスクがある。月次の院内勉強会で、グレーゾーンの判断事例を共有し、統一見解を作る。例えば「腰椎捻挫と仙腸関節捻挫は同一部位か別部位か」「亜急性の判断基準は何日までか」といった具体例を持ち寄り、地域の柔整審査会の傾向を踏まえて院内ルールを決める。

また、新人スタッフの教育が不十分だと、施術録の記載ミスが頻発する。新人には最初の3か月間、施術録を院長が全件チェックし、記載不備があれば即座に指摘する仕組みを作る。

自費施術中心の院の場合

自費施術が売上の7割を超える院でも、保険施術を併用する場合は注意が必要だ。患者に「今日は保険を使いますか、自費にしますか」と選ばせるトークは、保険の適正な運用を逸脱している可能性がある。保険適用の可否は、負傷の種類と施術内容で客観的に判断されるべきで、患者の希望で決めるものではない。

自費中心の院では、保険請求の件数が少ないため、1件の返戻や個別指導が経営に与える影響が相対的に大きい。保険施術を行う場合は、確実に適用範囲内の負傷に限定し、施術録の記載を徹底する。

不正請求と判定された場合の対応手順

返戻や個別指導の通知が届いた場合、初動対応が処分の重さを左右する。まず、通知内容を正確に把握し、指摘された請求のレセプトと施術録を全て照合する。返戻の場合は、記載不備を修正して再提出すれば支払われるケースが多いが、個別指導の場合は不正請求の疑いがあると判断されている。

個別指導では、地方厚生局の担当官との面談と施術録の提出が求められる。この段階で虚偽の説明や施術録の改ざんを行えば、監査に移行し、処分が重くなる。指摘内容に誤りがあれば根拠を示して反論できるが、明らかな記載不備や算定ミスがあれば、素直に認めて改善策を示す方が処分は軽い。

返還金の計算と支払い

不正請求が確定した場合、過去5年分のレセプトが遡及調査され、不正額の全額返還を求められる。返還金は、請求額に加えて延滞金(年率14.6%)が加算されるため、長期間の不正であれば返還額が数千万円に達するケースもある。

返還金の支払いは原則一括だが、資金繰りが困難な場合は分割払いの交渉が可能だ。ただし、分割払いが認められても延滞金は継続して発生するため、できる限り早期に全額を返済する方が総額は抑えられる。

不正請求防止のチェックリスト

以下のチェック項目を月次で確認し、全てクリアしている状態を維持する。1つでも該当しない項目があれば、即座に改善する。

  • 施術録に負傷原因が「いつ・どこで・どのように」の形式で記載されている
  • レセプトの施術部位・回数・日付が施術録と完全に一致している
  • 同一負傷の施術期間が3か月を超える場合、経過記載と医師の診断書を取得している
  • 保険施術と自費施術の区分が施術録とレセプトで明確に分かれている
  • 患者への施術内容説明と同意取得が施術録に記録されている
  • 月間施術回数が15回を超える患者について、頻回施術の必要性が施術録に記載されている
  • 新人スタッフの施術録を院長が全件チェックする仕組みがある
  • 返戻率を月次で集計し、前月比で悪化している場合は原因を分析している

制度変更と審査傾向の最新動向

柔道整復療養費の制度は、厚生労働省の柔道整復療養費検討専門委員会で毎年見直しが行われている。2025年度の改定では、施術録の電子化推進と、オンライン請求システムの義務化が段階的に進められる方針が示された。電子化により、施術録とレセプトの自動照合が可能になるため、記載不備や齟齬がある請求は即座に返戻される仕組みになる。

また、審査支払機関の審査基準も厳格化している。特に、同一患者の月間施術回数が10回を超える場合、施術録に「なぜ高頻度の施術が必要か」の医学的根拠を記載していないと返戻される傾向が強まっている。地域によっては、柔整審査会が独自のチェックリストを作成し、施術内容の妥当性を個別に審査するケースも増えている。

こうした制度変更と審査傾向の情報は、地域の柔道整復師会や厚生局のホームページで随時公開されるため、定期的に確認して自院の運用を調整する必要がある。

現場での判断を迷わせないための基本原則

不正請求の防止は、複雑な制度を完璧に理解することではなく、現場で迷った時の判断原則を持つことだ。その原則は3つに集約される。

第一に、保険適用の可否が不明な症状は、患者に自費施術として説明し、同意を得た上で施術する。グレーゾーンを保険請求すれば、後の審査で不正と判定されるリスクがある。自費で施術すれば、請求リスクはゼロだ。

第二に、施術録の記載は「他人が読んでも施術内容が再現できる」レベルを維持する。自分だけが理解できる略語や省略は、監査で証明責任を果たせない。患者の負傷原因、施術部位、施術内容を具体的に書く。

第三に、返戻や個別指導を「経営リスク」として捉え、月次の内部監査を経営指標の一つに組み込む。返戻率が前月比で上昇していれば、施術録の記載精度が落ちているサインだ。即座に院内勉強会を開き、原因を特定して改善する。

ベテラン院長が口を揃えるのは「不正請求は意図ではなく、記載の甘さから生まれる」という現実だ。施術内容に自信があるなら、その自信を施術録に正確に反映させる。それが、不正請求リスクを最小化する唯一の方法だ。